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図書館で始める探究学習 [文系受験者のための探究学習]

写真集を比較してみる

 

酒井聡先生は「テーマ候補をみつけやすい方法」を書いてくれています。
①「何か面白いことはないか」と、いろいろ考えたり、インターネットで検索してみたり、教科書・先輩たちの課題研究報告集・書籍等を読んでみたりする。
②心を惹くものが見つかったら、それに関して情報検索をするなどして、その世界を覗いてみる。

私は経験を元にして、もう少し具体的にテーマ候補の探し方を書きます。テーマを見つけるコツは、①自分の身近な問題に絞ること ②細分化すること ③組み合わせること ④比較してみること 以上の四点です。

①自分の身近な問題に絞る

テーマを大きくすればするほど専門家がいます。逆に、テーマを絞ってしまえば、専門家がいないフィールドはいくらでもあります。まず、地域を絞り、時間を絞り、事件を絞ります。私の勤務校は神戸ですが、研究対象とする地域は神戸ではなく相生という小都市です。相生?それどこにあるの?ということは専門家がいない可能性が高い。

②細分化する

次に時代を、大正から昭和初期に絞ります。江戸時代以前は避けます。次に、研究の手法を文書ではなく写真などの画像にします。写真や絵葉書などの画像はパソコンの発達でようやく研究が容易になった分野で学問として確立していません。素人でも研究できる分野です。

③④組み合わせと比較

「相生の昭和の画像」くらいまで絞れたら、本やネットを探して読みます。ここでは、「相生市史」と「写真集相生」という2冊の本を組み合わせて比較してみます。私は二冊とも持っていますが、相生ではありふれた本で、市立図書館にあります。

相生市史と写真集相生に同じ写真が掲載されています。上の相生市史では、昭和47年3月15日。下の写真集相生では、昭和46年10月。2冊の本を組み合わせて比較すると、説明が異なるという疑問が湧いてきます。この二冊の写真集を比較して論じた本はありません。どちらの本が正しいのか?何故こうした食い違いが起きたのか?ここから、研究がスタートします。


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探究学習のフィールド [文系受験者のための探究学習]

探究学習のフィールドを調べよう(あいおいの歴史)

日本史講座

相生市は矢野荘という一つの荘園がそのまま現代の自治体になっているという珍しい歴史をもつ小都市です。課題研究のフィールド、相生市若狭野町は、中世には皇室領矢野荘の政所があり、近世には旗本浅野家の陣屋がありました。日本史オンライン講座では、荘園都市あいおいという一つの地域の歩みを通して、古代から現代まで日本の歴史を学びます。

 

日本史講座

秦河勝は化生の人です。化生(けしょう)とは仏や菩薩が人々を救うために、人間の姿を借りてこの世に現れることを言います。聖徳太子のブレーンとして活躍した後、化生の人は跡を残さないという言い伝えのとおり、秦河勝は空舟(うつほふね・内をくり抜いた舟)に乗って西海に漂流し、相生湾に漂着しました。

 

日本史講座

金春禅竹が著した能の秘伝書「明宿集(メイシュクシュウ)」は秦河勝の相生湾漂着をこのように記述します。

業ヲ子孫ニ譲リテ、世ヲ背キ、空舟(うつほふね)ニ乗リ、西海ニ浮カビ給イシガ、播磨ノ国南波尺師ノ浦ニ寄ル。蜑人(あまひと)舟ヲ上ゲテ見ルニ、化シテ神トナリ給フ。

秦河勝は、猿楽の技を子孫に伝えたあと、「化生の人は痕跡をとどめない」という言葉どおり、異界のものが乗るという空舟(うつほふね 木をくりぬいた舟)で西方の海上に漂流し、播磨の国の那波にある尺師の浦に打ち寄せられた。漁師たちが舟を陸にあげてみると、たちまち化して神となられた。

 

日本史講座オンライン

あいおい(相生)は昭和になって一般化した地名です。謡曲高砂の相生の松とは何の縁もありません。古代、この地は八野(やの)と呼ばれていました。ある日、秦河勝が鷹取峠から矢を射ると、矢は八野を越えて三濃山に達しました。秦河勝の矢が飛んだ谷を矢野谷と呼び、八野を矢野と書くようになったということです。

 

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秦河勝が三濃山に狩りを楽しんでいると、お伴の犬が激しく吠えました。河勝が何事かと振り向くと、梢に河勝を狙う大蛇が。二匹の犬は大蛇と闘い、犬も大蛇も生命を落とします。河勝は弓を折って卒塔婆を作り、犬と大蛇を弔いました。三濃山の東麓を流れる谷川沿いを三本卒塔婆といい、犬塚と呼ばれる五輪塔が立っています。

 

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三濃山の山頂に登りますと求福教寺があります。864(貞観6)年、赤穂郡司秦内麻呂が秦河勝を偲んで創建しました。源義家の保護を受け山岳仏教の聖地として栄えましたが、平家の焼き討ちなどによって衰退しました。江戸時代から三濃山村の人々が寺を守り、1978(S53)年から81(S56)年にかけて、鞍居の金川氏が観音堂や山王神社を修復しました。

 

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求福教寺は観音堂を中心におき、弁天・大避神・山王権現が周りにあります。日本古来の神仏習合・本地垂迹説の考え方に基づく伽藍配置です。金春禅竹はこのように説きます。「秦河勝は翁である。翁の働きは星宿神(北極星)の光のようにあらゆるものにふりそそぐ。それは観音菩薩の恵みと同じものである。翁の本地は大日如来であり、大避明神は翁が垂迹したものである」

秦一族は北極星に最も近い三濃山に寺を創り、本堂に千手観音(河勝・翁)、脇に翁が垂迹した大避大明神を祀ったのではないかと、明宿集を読みながらそう思いました。

 

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荘園都市あいおいは二つの水系から成り立っています。北の矢野川流域は早くから開発され、奈良時代には条里制の豊かな耕地がありました。一方、南の相生湾に近い地域は未開発のままになっていました。

1075(承保2)年、赤穂郡司の秦為辰(はたのためとき)は、国衙の認可を受けて久富保(ひさとみのほ)の開発を始めました。開発が進むと、秦為辰は播磨守藤原顕季(あきすえ)に久富保を寄進します。久富保は藤原顕季から孫娘の藤原得子(なりこ)=美福門院に相続されました。美福門院は鳥羽天皇が譲位した後の寵姫で、近衛天皇の生母となり皇后の地位を得ます。

 

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1129(大治4)年、鳥羽上皇は院政を開始しました。上皇は財源を確保するため、院に荘園を集める方針を打ち出します。1136(保延2)年、美福門院は久富保を荘園にするよう申請します。美福門院は南部の久富保にあわせて北部の肥沃な国衙領を取り込み、1137年に皇室領矢野荘が成立しました。皇室領矢野荘は相生市とほぼ同じ領域の大きな荘園で、領域型荘園の先駆けと位置づけられています。荘園を積極的に集積した結果、鳥羽上皇のもとに膨大な荘園が集まりました。鳥羽上皇・美福門院から娘の八条院に継承された荘園群(八条院領)は、鎌倉時代に大覚寺統に受け継がれます。

皇室や摂関家・大寺院など中央の権力者が領域型荘園を設立した結果、日本の土地制度は根本的に変化しました。現在の教科書は、荘園が社会の基本的な枠組みであった時代(院政・鎌倉・南北朝・室町)を中世と呼んでいます。矢野荘は中世の歴史を伝える代表的な荘園の一つです。

 

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矢野荘の政所は矢野川中流にありました。若狭野町下土井は中世矢野荘の面影を伝える地域で、水田を囲むように下土井城・下土井大避神社・政所跡があります。鎌倉時代末期、後宇多上皇は後醍醐天皇即位を実現するため、矢野荘を東寺に寄進しました。領主東寺・悪党寺田法念・有力農民たちは土地の支配を賭けて、戦い・連携・陰謀・一揆を繰り広げます。そうした記録は、世界記憶遺産の東寺百合文書によって今に伝わります。

 

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江戸時代、矢野荘は浅野赤穂藩の所領になりました。初代赤穂藩主、浅野長直は息子と娘がおり、娘は大石家に嫁いでいます。長直は娘の生んだ孫を養子として分家を立てることを考えました。こうして、浅野赤穂藩は、赤穂の本家と若狭野・家原の二分家で構成されるようになります。

赤穂藩は他藩と境界を接することのない若狭野を浅野長恒に与えました。長恒の幼名長三郎隼人にちなみ、浅野隼人家と呼びます。若狭野浅野家は三千石で、このクラスの旗本を大身旗本といいます。彼らは江戸に住み、幕府の要職に就きました。当主が所領に戻ることは稀で、陣屋に家臣をおいて統治させました。

元禄14年(1701)、江戸城で浅野内匠頭長矩が吉良上野介に刃傷に及ぶ元禄赤穂事件が起こります。赤穂藩は改易され、元禄15年(1702)には、生家大石家の大石良雄が吉良邸に討ち入ります。しかし、浅野長恒は謹慎するものの許されて、若狭野浅野家は旗本として幕末まで続きました。

 

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浅野赤穂藩時代、本家が若狭野も含めて統治し、分家の浅野長恒に収益を交付していました。若狭野陣屋は長屋があるだけの小規模なものでよかったのです。しかし、赤穂藩が断絶したため、浅野家は若狭野陣屋を移転拡張します。江戸時代も後半に入ると、各地で経済の発展にともなう家政改革が試みられました。浅野家も在地代官を採用し、大坂天王寺屋を札元とする藩札発行などに取り組みます。これに応じて、若狭野陣屋に札座が建築されました。

 

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明治初年、当主の浅野長発や家臣団が若狭野に土着、御殿屋敷を建てました。しかし、明治30年代、浅野家の事業が破綻し札座以外の建物は売却されました。御殿屋敷跡は地区に寄贈されて神社や薬師堂が建っています。

2006年、浅野赤穂藩上屋敷から若狭野浅野家が受け継いだ文書が相生市内で発見され、龍野歴史文化資料館と関西大学に所蔵されています。この文書は、浅野家の成立から忠臣蔵を経て幕末まで、一つの武家の推移をたどることができる貴重な資料です。また、旗本の家政改革という新しい研究分野を切り開くフィールドになっています。

 

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浅野隼人家文書のなかに陣屋の絵図があり、郷土史の先達小林楓村・金田正男両氏の研究と照合しますと若狭野陣屋の変遷を辿ることができます。城郭が郷土の象徴として保存されることが多かったのに比べ、小規模な陣屋は開発によって消滅したものも少なくありません。若狭野陣屋は敷地がそのまま残っているうえ、札座という役所が現存しています。

文書というソフト、陣屋というハードから旗本浅野家の興亡をたどることができるという点で、若狭野陣屋の価値は高く評価されるべきものです。ところが、これまで若狭野陣屋の歴史的価値・文化的価値は理解されることなく、老朽化の進んだ札座は解体の危機に瀕しています。

 

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2016年春、浅野陣屋保存ネットワークは札座を修復保存したいという志を抱いてスタートしました。どのようなして文化財を保存するのか?文化財保存のための公的助成制度はあるのか?資金をどのようにして集めるのか?修復した札座どのようにして運営するのか?地域の観光資源として活用できないか?法人の形態は何がふさわしいのか?代表者は誰にするのか?

こうした諸問題を考えるうち、浅野陣屋を保存するプロセスこそ最良のアクティブ・ラーニングではないかと思うようになりました。一つの文化財を保存するプロジェクトから、日本の文化財政策が抱える問題、地域政策が抱える問題、法人のガバナンスと経営など様々な問題が浮き彫りになってきます。


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課題研究のテーマの見つけ方 [文系受験者のための探究学習]

研究テーマを決めろと言われても

課題研究のテーマをどのようにして決めればよいのか?悩んでいる高校生のために、どのようにしてテーマを設定したらよいか、考えてみたいと思います。
研究とは「わかっていないことを調べて結論を出すこと」です。なので、

①調べようとすることが、わかっていないことなのか、既に解明されていることなのか ②自分の調べる能力の範囲で結論にたどりつけるのか、たどりつけないのか という二点を見極めなければなりません。そのうえで、③完成した作品や論文が良い評価を受けそうかを予測します。③は、できたら、という程度のことで、こだわることはありません。

研究の面白さは、まだ答を誰も見つけていない問題を解いていくことにあります。学校の学習は答のある問、正確にいうと誰かが答をみつけてしまった問を解けるようにすることです。ところが、課題研究は、答が見つかっていない問を解けというのです。しかも、その問題を自分で探してきなさいといいます。それも、授業の最後にではなく、最初にです。

 

テーマの見つけ方を書いた本はあるのか

高校生の皆さんは途方に暮れてしまうでしょう。図書館やインターネットで「課題研究のテーマの探し方」を調べるかも知れません。しかし、そのような本はありません。課題研究について書いてある本は、テーマが見つかったことを前提にして、調査の方法や論文の書き方を解説しています。

『これから研究を始める高校生と指導教員のために』という本があります。324ページの分厚いもので、その15ページに「テーマ候補の探し方」という章が設けられています。そこで、酒井聡先生はこう書きます。「こうすれば必ずテーマ候補が見つかるなどという方法を私は知らない。『苦悶しなさい』としか助言のしようがないのが、実のところである」

!!! しかし、さすがに酒井先生で「テーマ候補をみつけやすい方法」を書いてくれています。
①「何か面白いことはないか」と、いろいろ考えたり、インターネットで検索してみたり、教科書・先輩たちの課題研究報告集・書籍等を読んでみたりする。
②心を惹くものが見つかったら、それに関して情報検索をするなどして、その世界を覗いてみる。

 

テーマを見つけるコツ

ここからは、私の経験を元にして、テーマ候補の探し方を書きます。私の立ち位置は、文学部出身、社会科担当、趣味は写真集作り、夢は「秘密」。
自分が面白いなと感じるものを選ぶということは言うまでもありません。

テーマを見つけるコツは、①自分の身近な問題に絞ること ②細分化すること ③組み合わせること ④比較してみること 以上の四点です。

学校のなかを一周してみるだけでも、テーマ候補はみつかります。

中庭に卒業記念品のブロンズ像が見えました。あれは何回生の記念品かなあ?という疑問から、卒業記念品一覧を研究したらどうかというアイディアが浮かびます。誰か、先輩が作っているでしょうか。調べてみます。もし、誰も作っていなければ、これで課題研究が一つ作れます。

私の学校には「卒業記念品一覧の研究」があります。私が困っている生徒に教えてあげたからです。前例がある場合は少し視点をひねってみます。③組み合わせを使って、近隣校の卒業記念品を調べます。創立100年を超す伝統校のデータが入手できれば、日本の歴史と連動させて「卒業記念品で見る日本」という論文を書くこともできます。

 

パイオニアワークかも

インターネットと国会図書館サーチで「卒業記念品」を検索してみましょう。なさそうです。卒業記念品を研究した人っていないのでしょうか。このように前例のないフィールドをブルーオーシャンといいます。そして、このフィールドに最初に乗り出した作品をパイオニアワークといいます。パイオニアワークはすごく価値があります。この文章は思い付きで書いていますが「卒業記念品」という研究テーマは案外すぐれものかも知れません。

進路指導室の前に大学のポスターが貼ってあります。ネットで検索すると画像がたくさん出てきます。データはすぐに集まりそうです。どのような切り口にするかが勝負ですね。すぐに思いつくのは、偏差値ランキング表にあわせてポスターを並べてみることです。時系列で並べてみるとか、地域で並べてみるとか、国立と私立を比較してみるとか、いじくっている内に傾向が見つかれば課題研究が一つできます。ここでも、インターネットと国会図書館サーチで「大学のポスター」を調べてみましょう。こんなこと、誰かがやっていそうですけれど、ひょっとするとブルーオーシャンかも、自分で調べてみなさいね。

 

課題研究オンライン

ダメな例もあげておきます。東大のポスターの英文名はThe University of Tokyo、京大のポスターの英文名はKYOTO UNIVERSITYです。何故、東大の英文名はTOKYO UNIVERSITY ではないのか?というテーマです。私はこの答を高校時代に読んだことがあります。調べてみてください。面白い事情がわかります。しかし、答のあることなので研究にはなりません。

 

フィールドワークをしてみよう

次は、自宅周辺を歩いてみます。地方、特に農村部の場合は、神社・寺院・お地蔵様・石碑などが至るところにあります。戦前の村、小学校の校区くらいが適切な範囲です。これをデジカメで撮影し解説を書きます。フィールドワークといいます。簡単そうに見えますが、やってみるととても難しい。教科書を使って日本史の授業をする方がずっと簡単です。こうして作った写真集は貴重な郷土資料になります。図書館に寄贈すると喜んで蔵書にしてくれます。

余談ですが、各地の図書館は書庫が一杯で古本の引き取りを断るところが多くなっています。自費出版した新本でも受け取ってもらえないことがあります。でも、高校生が作った郷土の写真集なら必ず蔵書にします。それだけ、価値が高いのです。

 

大きなテーマをやりたいのなら

コツは身近なものといいましたが、高校生は「後醍醐天皇」「姫路城」「日本の年金」「アベノミクス」といった大きなテーマを選びがちです。こういうテーマは高校生では手におえません。変更するように指導しますが、多くの生徒は聞きいれません。そこで、②細分化してみるように、ずらしてみるように、というアドバイスをします。後醍醐天皇を描いたゲームや小説を比較してみるという手法です。それでも、受け入れない生徒が大半です。しかたがないので好きにさせます。

 

インターネットだけでできるテーマ

最後に、インターネットだけでできる課題研究を考えてみます。私はこの方法を評価しませんが、どうしても政治や経済の大きなテーマをやりたいなら、この手法があります。一例をあげます。ヒラリー=クリントンの敗北宣言がユーチューブにあがっています。英文はヒラリーのフェイスブックにあります。高校生でも読める良い文章です。なのにヒラリーは何故大統領になれなかったのでしょうか?これをテーマにすると高校生の能力を超えます。そこで、視点をずらします。ヒラリーの敗因を書いた記事はネットにあふれています。この記事を集めて整理します。整理すると何かが見えてくるかもしれません。

 

課題研究は論文作成の練習なの?

課題研究について書いた本は、テーマが決まったことを前提にして、調査の方法、分析の方法、プレゼンの方法、論文の書き方を説明しています。でも、私は思うのですね。大学の卒業論文や大学院の修士論文を書くわけではないのです。高校生にとって大切なのは論文として完成させることではなく、世の中には解明されていないことがあって、自分がそれを見つけて調べてみたという体験をさせることなのではないかなと。

論文の書き方という本はあっても、課題研究のテーマの探し方という本はないようなので、この記事を書きました。ひょっとしたら、パイオニアワークかも知れません。パイオニアワークは、誰も調べていない、書いていないテーマを見つければ、高校生でも作ることができます。「最初」は絶対優位です。テーマを探すことこそ、課題研究の面白さかも知れません。


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探究学習オンライン講座 [文系受験者のための探究学習]

入試改革と探究学習オンライン

探究学習オンラインは、浅野陣屋の札座という文化財を保存しようという活動と、文部科学省が提唱している入試改革という二つの源流から誕生した。二つの源流がどのようにかかわっているのかを述べたい。入試改革とは?から書き始める。

2020年秋から2021年冬にかけての大学入試から新方式で入学者の選抜が行われる。2017年4月に中学3年生になる生徒が新方式最初の受験生となる。入試改革の本質については、アゴラに藤沢数希氏がまとめているので引用する

 

大学入試改革の落とし所によっては日本の受験産業は壊滅
藤沢 数希   2017年01月11日

世間では、この入試制度改革は、あまり話題になっていないが、これは根本的に日本の教育制度を変えうるインパクトを持っている。じつは、日本の形が変わってしまうほどの制度改革になる可能性を秘めている、と言っていい。

今回の大学入試制度改革で重要なことは一点しかない。それは、東大・京大のいまの学力試験が存続するのかどうか、である。

いくらセンター試験がマイナーチェンジしたり、より思考力を問うような問題になっても、そんなことは非常に些細な問題である。逆に言えば、東大・京大の二次の学力試験が存続するなら、今回の大学入試改革はまったくに何も起こらない、ということを意味する。実績のある私立中高一貫校の地位はそのままであるし、塾などの受験産業もそのままである。子供がしなければいけないトレーニング方法もそのままだ。

それでは、何が変わるのか? 決められた範囲の中で作られる、難解な東大や京大のペーパーテスト、特に日本独特の「受験数学」の対策をしなくてもよくなるということだ。そして、こうしたペーパーテスト対策のために、日本で発達した受験産業は滅びることになる。

そして、何が重要になるのだろうか。これは欧米の制度をそのままパクったものであるから、その対策も、欧米と似たようなものになる。

(以上が引用 全文はここに

 

日本の教育の実態

日本の高等学校教育を左右する最大のファクターは東大と京大の入試である。難関大学への合格者数が高校や塾の評価を決定するので、高校も受験産業も(建前はともかく)本音は東大・京大の入試に照準をあわせてきた。ゆとり教育は、本音主義の私立高校と受験産業によってあっけなく破壊されてしまった。

その結果、日本が上手くいっているかというと「沈滞の20年」という体たらくが続いている。今回の入試改革の動機が何であるかは問わないとして、東大・京大の入試が変わるなら、結果論として良かったということになるだろう。

大学入試とは「一つの正解に向かって、いかに効率よく到着するか?を競うゲームである」という定義は、1980年代に定着した。私の手元に2冊の数学の本がある。一冊は、1984年に出版された数学教育コンサルタント渡部由輝氏の「数学は暗記科目である」。この本は「問題は知識で解く」「応用力はいらない」「一冊学習で十分」と主張する。もう一冊は、1969年に出版された京都大学助教授小針睍宏氏の「デバグ数学セミナー」。39才で夭折した天才数学者は「知性のアソビとしての数学オモシロサ」「これ一冊ではダメ」と書く。

私が「デバグ数学セミナー」を買ったのは受験生のとき、「数学は暗記科目である」を買ったのは受験教師のときである。受験に自信のあった私は「人柄より偏差値」「スポーツも受験も同じ、一点差でも勝ちは勝ち」と豪語し、効率よく得点させる授業に熱中していた。

数年にして受験指導に飽き、私の興味は学校改革に移った。ルールが単純化し、評価方法が一つになった受験は指導法が確立する。誰でもマニュアルに従えば指導ができる時代に入り、参考書は予備校教師の書くハウツーものになった。あとはパワーゲーム、大資本を擁する三大予備校とファインシステムを高校に配置したベネッセが受験市場を制覇する。その結果が、知識はあるが主体性はないという規格品のような大学生の量産。

「高品質のものを低価格で」と価格競争路線を繰り広げた結果、フェイスブックもアップルも登場しなかったという日本の産業界そっくりである。

 

これからどうなる?

ここで登場したのが今回の入試改革。さて、どうなるんでしょうね?

それは一重に東大・京大の入試が変わるかどうかにかかっている。藤沢氏の表現を借りれば「東大・京大の二次の学力試験が存続するなら、今回の大学入試改革はまったく何も起こらない」。センター試験がマーク式であろうと、記述式であろうと同じ。ついでに言うと、思考力を試す試験をしたところで同じ。①正解があって ②教室のなかでトレーニングできる という試験なら必ず必勝法が現れる。受験産業にとっては簡単なことである。

東大の入試方法が変わればどうなるか?再び、藤沢氏の表現を借りれば「決められた範囲の中で作られる、難解な東大や京大のペーパーテスト・・の対策をしなくてもよくなる・・。ペーパーテスト対策のために、日本で発達した受験産業は滅びる」

受験産業が滅びたあとに芽生えるものは何か?それは、誰にもわからない。

 

大学入学者選抜の在り方について(第四次提言)

受験産業の命運は東大・京大の入試動向にかかっている。2017年春の時点では予測できないが、文部科学省が何を志向しているかは、2013年の教育再生会議の「大学入学者選抜の在り方について提言」から知ることができる。

(2)多面的・総合的に評価・判定する大学入学者選抜への転換
○ 大学入学者選抜は、各大学のアドミッションポリシーに基づき、能力・意欲・適性や活動歴を多面的・総合的に評価・判定するものに転換する。

○ 各大学が求める学力水準の達成度の判定には、・・達成度テストの積極的な活用が図られるようにする。各大学が個別に行う学力検査については、知識偏重の試験にならないよう積極的に改善を図る。

○ 各大学は、学力水準の達成度の判定を行うとともに、面接(意見発表、集団討論等)、論文、高等学校の推薦書、生徒が能動的・主体的に取り組んだ多様な活動(生徒会活動、部活動、インターンシップ、ボランティア、海外留学、文化・芸術活動やスポーツ活動、大学や地域と連携した活動等)、大学入学後の学修計画案を評価するなど、アドミッションポリシーに基づき、多様な方法による入学者選抜を実施し、これらの丁寧な選抜による入学者割合の大幅な増加を図る。

(以上引用 全文はここに

第三項目の「生徒が能動的・主体的に取り組んだ多様な活動」がポイントだろう。

 

アクティブ・ラーニング

もう一つの手がかりは、2014年に文部科学省が中央教育審議会に諮問した「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」。このなかに「課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習(いわゆる『アクティブ・ラーニング』)」という言葉が登場する。公立の小学校や中学校は、アクティブ・ラーニング対策に追われることになる。私立学校は、東大・京大の入試にアクティブ・ラーニングが必要かどうかを見守るという作戦をとるだろう。「ゆとりでは東大に合格しない」という受験産業のキャンペーンに敗れた経験から、文部科学省と東大が「アクティブ・ラーニングを取り入れないと不利になるような入試」で合同作戦をとるかもしれない。

そうなると、入試改革のキーワードは「課題を発見し、主体的・能動的・協働的」になる。「与えられた問題の正解に向かって効率的に」とはパラダイムの転換が起こる。文部科学省の目指す方向は正しいと評価するが、実現できるかどうかは50:50であろう。

「課題を発見し、主体的・能動的・協働的」に学ぶことが評価されるようになったとき、校外で行われるインターンシップ、ボランティア、海外留学、文化・芸術活動やスポーツ活動、大学や地域と連携した活動等に加わる機会は、誰が提供するのであろうか。

 

高校生のための探究学習オンライン

探究学習オンライン講座は、地方の小都市で地域づくりをめざすNPO法人と文化財の保存をめざすネットワークのコラボレーション事業です。私たちには素材と経験がありますが、若い人たちの参加者がいません。あなたが、インターンシップ、ボランティア、文化・芸術活動、地域と連携した活動等に加わる機会を探している高校生であるなら、私たちはあなたとWIN・WINの関係を築くことができるでしょう。

私たちのフィールドは、皇室領矢野荘という有名な荘園です。保存しようとしている浅野陣屋は忠臣蔵で有名な赤穂浅野家ゆかりの文化財です。私たちの目標は、浅野陣屋を保存し、無名の観光地相生をツーリズムの名所あいおいに変え、地域を活性化することです。私たちの活動は緒に就いたばかりです。どのようにすれば良いのか暗中模索を続けています。課題をみつけ答えを創り出す。アクティブ・ラーニングそのものです。

ネットワークには、地域史家・行政マン・企業経営者・コンサルタント・地域づくりの専門家など多様な人が集まっています。あなたが探究学習オンラインの受講生となり、主体的に能動的に協働して活動されることをお待ちしています。


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