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荘園ツーリズム [皇室領矢野荘]

荘園は中世日本を構成する地域的まとまりです。平安時代に始まり、院政期に皇室や摂関家・大社寺が所領として拡大しました。
江戸時代の城下町に対し、鎌倉・室町時代を代表する遺跡が荘園で、水田をはじめ、神社や山城が時を超えて伝えられています。
 
荘園を楽しむには、少々知識が必要です。
千年前の日本に思いを馳せ、荘園ツーリズムに旅立ちましょう。 
 
東日本の荘園
陸奥国 骨寺村荘園 
岩手県一関市
中尊寺領 
鎌倉時代の景観が現存する遺跡
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上野国 新田荘 
群馬県太田市
源氏領 
中世武士団新田氏一族の根源地として成立した
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上総国 藻原荘 
千葉県茂原市
興福寺領 
奈良時代に成立した初期荘園、上総介藤原黒麻呂が開墾した
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越中国 般若野荘 
富山県砺波市・高岡市
徳大寺家領 
東大寺領井山・伊加流伎・石粟の3荘が衰退したあとに成立した
wikipedia
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能登国 若山荘 
石川県能登町
皇室領 
能登国珠洲(すず)郡の大半を占める巨大な中世荘園
​奥能登を歩く若山荘
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能登国 町野荘 
石川県能登町
領 
奥能登の中山間に位置し、能登国では若山荘に次ぐ大規模な荘園
​奥能登を歩く町野荘
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越前国 道守荘 
福井県足羽郡
東大寺領 
8世紀、東大寺の経済的基盤確立のため全国的に設定された初期荘園の一つ
 
 
近畿の荘園
和泉国 日根荘
大阪府泉佐野市
九条家領 
「日根荘大木の農村景観」が文化財保護法による重要文化的景観に選定
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摂津国 猪名荘 
兵庫県尼崎市
東大寺領 
8世に成立、神崎川河口の海岸部に堤防を築き、徐々に耕地を開発した
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播磨国 矢野荘 
兵庫県相生市
皇室領 
皇后美福門院が立券した領域型荘園、同じ領域が相生市として存続している
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播磨国 鵤荘 
兵庫県太子町
法隆寺領 
斑鳩寺は政所の業務と布教の拠点である。荘園境界を示す牓示石がある
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播磨国 大山荘 
兵庫県篠山市
東寺領 
空海の死後、綜芸種智院を売却した代金で土地を購入し、845年に成立した
wikipedia
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紀伊国 桛田荘 
和歌山県かつらぎ町
神護寺領 
鎌神護寺とかつらぎ町の宝来山神社に残る絵図が教科書に掲載される
wikipedia
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紀伊国 官省符荘
和歌山県橋本市・九度町
金剛峯寺領 
巨大な領域型荘園で、金剛峯寺が直務支配を確立し、高野山と一体化した
​荘園遺跡
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伊賀国 黒田荘 
三重県名張市
東大寺領 
奈良時代、孝謙天皇より東大寺に寄進された板蠅杣が拡張して荘園が成立
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若狭国 太良荘  
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福井県小浜市
東寺領 
東寺百合文書に多くの史料が残る
中世史における代表的な荘園の一つ
​太良荘
 
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西日本の荘園
伯耆国 東郷荘 
鳥取県湯梨浜町
松尾大社領 
下地中分の絵図は荘園の盛衰を示すものとしてたびたび教科書に掲載される
 
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備中国 新見荘 
岡山県新見市
最勝光院領→東寺領 
たまがき書状が国宝に指定された
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備後国 大田荘 
広島県世羅郡
高野山領 
寄進地系荘園から始まり、一円支配の中世荘園に成長、尾道が積み出し港
wikipedia
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伊予国 弓削島荘 
愛媛県上島町
皇室領 
「塩の荘園」として著名。1981年、皇太子が荘園研究のために島を訪れた
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土佐国 幡多荘 
高知県四万十市・土佐清水市
一条家領 
13世紀に成立、1468年、前関白一条教房が下向して中村に居館を設けた
wikipedia
​四万十市観光情報
 
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豊前国 田染荘
大分県豊後高田市
宇佐神宮領 
「田染荘小崎の農村景観」が国の重要文化的景観として選定されている
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肥後国 鹿子木荘 
熊本県熊本市
皇室領 
代表的な寄進地系荘園として教科書に多く取り上げられてきた
東寺百合文書に資料が残る
wikipedia
​​
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日向国 島津荘 
宮崎県都城市
近衛家領 
日向・大隅・薩摩の三ヶ国にまたがる日本最大の荘園
wikipedia

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教科書が説明する荘園 [皇室領矢野荘]

高校日本史の教科書では、荘園をどのように説明しているのでしょうか。手近にあった四社六冊の教科書を読んで、適当にまとめてみました。
 
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奈良時代の初期荘園
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政府は人口増加による口分田の不足を補うため、743年、墾田永年私財法を発し、開発した田地の私有を保障した。東大寺などの大寺院は、広大な原野を独占し、国司や郡司の協力のもとに、付近の農民や浮浪人らを使用して原野の開墾を行った。これを初期荘園という。
 
8~9世紀に生まれた初期荘園は、律令国家の地方支配機構である国衙制に依存して経営されていたので、その多くが10世紀までに衰退していった。
​ 
 
平安時代の寄進地系荘園
  
班田収授が行われなくなると、口分田は国司のもとで国衙が管理するようになった。これを国衙領という。10世紀後半、国衙は田地を拡大するため、開発領主に臨時雑役免除などの便宜をはかった。開発領主の多くは国衙の在庁官人になったが、一部は所領を中央の権力者(領家・本家)に寄進して荘官となった。
 
こうした荘園は寄進地系荘園と呼ばれ、11世紀後半に各地に広がった。荘園は課税対象であるが、寄進地系荘園のなかから権力者の権威を背景に税の免除(不輸)を承認してもらう荘園が現れてくる。
  
 
後三条天皇の荘園整理令​
​ 
平安時代の国司は中級貴族が任命される。中級貴族は国司となって財をなすことを望んでいた。国司は税率を決定する権限を持ち、徴税請負額を政府に納める義務を負った。国司の収入は実際の徴税額から請負額を差し引いたものになる。
 
不輸の荘園が増えると、上級貴族や大社寺の収入が増えて、国司(中級貴族)の収入が減少する。1069年、国司の支持を受けた後三条天皇は荘園整理令を出し、基準にあわない荘園を停止した。摂関家や大社寺の荘園も例外ではなく、整理令は成果をあげた。
 
荘園整理によって、国司の支配する公領と、貴族や大社寺が支配する荘園の区別が明確になった。この時点では、公領が多くの部分を占めていた。一方、整理令で基準が明示された結果、整理されなかった荘園の法的根拠は強化された。
 ​
 
鳥羽上皇の方針転換
  
白河上皇は国司を支持勢力に取り込んで院政を始め、荘園整理の方針を受け継いだ。ところが、鳥羽上皇は荘園を積極的に認める方針に転換する。天皇家には荘園の寄進が集中し、摂関家や大寺院への寄進も増加した。不輸・不入の権を持つ荘園が増加し、荘園の独立性が強まった。
 
鳥羽上皇が集めた荘園群(八条院領)は大覚寺統に受け継がれ、後白河上皇が集めた荘園群(長講堂領)は持明院統に受け継がれた。
​ 
 
領域型荘園
 
もう少し踏み込んだ記述をしている教科書では「領域型荘園」という言葉が使われている。
 
白河天皇は荘園整理政策を継承したが、上皇となって院政を始めると、次々と寺院を建立し、その運営費用をまかなうために荘園を新設した。院と関係の深い貴族から所領が寄進され、国司の協力も得て広大な領域の荘園(領域型荘園)が立荘された。
 
12世紀前半の鳥羽院政期にかけて、院・摂関家・有力寺社の領域型荘園が、院権力の主導のもとにつくられ、中世荘園が確立した。領域型荘園では、荘民は租税をすべて荘園領主に納めるようになった。
 
公領でも開発領主の所領化が進み、全国の土地は同じような性格をもった荘園と公領に編成された。荘園公領制は中世の土地制度の基本となった。
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教師用資料として配布された鎌倉佐保先生の解説です
 
 
中世は荘園公領制の時代
 ​
現在の教科書は、後三条天皇の荘園整理によって荘園が合法化され、鳥羽上皇の荘園拡張政策の結果、荘園公領制が成立して中世が始まると説く。そして、院政・鎌倉幕府・南北朝・室町幕府を中世でひとまとまりにする。
 
荘園は応仁の乱頃から解体が始まり、戦国時代に実質的に消滅、太閤検地で名実ともに消滅する。そして、検地による土地制度の時代=近世(豊臣政権から江戸時代)が幕を開ける。

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